来週のイベントを控えて戦々恐々とした市場だが、株式市場は追加緩和期待の方が勝っていたようだ?
妙な感じだが、一方の為替市場はユーロ圏がこの世から消滅する前夜のような様相だが、同じく株式市場は落ち着いている?
全てを織り込んでいるのか違和感を持つのは自分だけであろうか?
日本から見れば?対岸の火事ともいえないのだが、実質日本市場を占有しているのは青い目の人たちであろうから、結局は同じ財布なのだろうか・・・・・・・・・・

同じく日本では消費税の合意も最終局面で、やたら泥鰌と鯰が泥水の中で騒いでいるが、国民は呆れてそっぽを向いている。これから日本経済が立ち向かう(すでに相当前から直面しているが)局面に、泥鰌は悲観的使命感のみで立ち向かってはいるが、すでに時は遅いと言わざるを得ない・・・・・・・・・・
どこの国も同じような危機を腹に抱えてはいるが、何時まで耐えていけるかの時間的寿命はそれぞれだ。
しかし先に倒れたところが足を引っ張って、一緒に穴に落ちていくという経済の鎖に繋がれているということだろう。
この消費税法案が無事に国会を通っても時間的寿命が延びるだけであろうが、もしも先送りになれば、さらに導火線は短くなり、スペインからイタリアなどと言ってはいられない展開となりそうだ。
対岸の火事を眺めている余裕はなく、足元の火の気を消化しなくてはならない。
国債は売れなくてはならない、金利は絶対に抑えなくてはならない、円高は阻止したい、景気は回復したい、
全ては矛盾という言葉の中に表現できるだろう。膨れ上がる福祉予算と財政悪化にともなう赤字国債の発行残高
解決の道はないだろうが、あるとすれば絶対的な政策決定力というものだが、民主主義の中にそれを求めると
ファッショとか呼ばれて、粗暴なレッテルを貼られてしまう、しかし経済を立て直し、この国を再生するには単なる多数決から生まれる数の論理だけでは解決できないと思う。
世の中には100%の賛成はあり得ない、必ず賛成があるところには反対がある。反対が金を生み、そこにも価値があるからだ。反対しなくては、そもそも存在意義のある立場が確立できないと言うこともある。かつての社会党のような存在だ。
ボーリング場にはたくさんのボールが用意されているが誰にも合うボールというものは、結局は誰にも会わないというものだ。
みんなの意見を集約してより良い政策を・・・・・・・
そういうものは小学生のホームルームくらいしか存在しない。それはお金というものを意識しないで自由に話し合える年代だからだろうし、誰も同じ立場で存在し、もちろん何の責任も利権も無いから、主張することが皆の希望にかなう事柄に一致しやすい。お金の汚い洗礼を浴びていない子供の特権であろう。

現在、地方政治レベルでは勇気ある改革者の出現で何かが変わろうとしているが、国家レベルでははたして改革というものが実現できるのであろうか?
ただ一つのこの国を救済できる手段と思うが、あまりに時間がない、残念である・・・・・・
これから10年先まで相場にかかわっていく人ならば、いや誰にも当てはまることではあるが、円が対ドル100円200円という事態は来ないのだろうか、逆に60円50円となるのだろうか?誰でもわかることであれば準備もしておくべきだ。その時にもまだ日本国民でいるのならば・・・・・・・・
今年が最後かもしれないというきもしますので、老婆心ながら・・・・・・・・